武満徹、追悼
「わたしと武満徹」


武満徹さんが亡くなれました。直ぐに追悼の文を書こうかと思ったのですが、すぐには書けませんでした。暫く前から体調を崩されていたとは聞いていたのですが、、、ショックでした。まだまだこれからに期待していたと言う意味で、大分前になりますが、グールドが死んだと聞いた時以来の衝撃です。

昔は現代の音楽を割と避けていた事もあり、私がはじめて聞いた武満さんの曲は、「秋庭歌一具」でした。大学生になってからでした(かと言っても20年ほど前ですが)。西洋的な手法の旋法を用いたこの雅楽は、全く私を魅了したわけです。音楽に関係のない事ですが、非常にダイナミックレンジの広いこの曲を聴くために、LPやカートリッジに大変気を使ったのを憶えています。

その後に住んだ所の近くにWAVEというレコード店が出来、1Fに「雨の木(レインツゥリー)」と言う喫茶店が出来ました(最近行ってないけど、まだ有るのかなぁ)。武満作品に同名の曲が有るのを知っていましたので、武満さんの曲から名前を取ったと理解しました。
すぐその曲のLPを買い、その名は大江健三郎の作品から取られていることを知り、赤面しました。小説と言う物に長い間決別していた私は、大江さんの名前を知ったのはその時が初めてでした。それでも15年ほど前ですが。

以来、武満徹と大江健三郎は時折からまって出現します。武満さんが前々からオペラを委嘱されていた事は周知の事実ですが、結局死によって、始めてのオペラは未完のものとなりました。
武満さんがオペラを書こうとされた時、その事について大江さんとある雑誌で対談されており、その記事を軽い興奮の気持ちで読んだのを憶えています。詳しい内容については良く憶えて居ないのですが、結局の所、大江さんのSF(と言って良いのか)「治療塔」をオペラ化する話と、私は了解しました。

私はそれ以来オペラの完成を期待しながらも、結局は出来ないんじゃないか、とどこかで感じていたと思います。理由は簡単で「治療塔」のオペラなんて、私にはちょっと考えにくいからです。

で、結局オペラは出来ず、今、武満徹と言えば「ノヴェンバー・ステップス」等の作品、とまず書かれています。尺八や琵琶と管弦楽の合奏のこの曲は、全く日本人としてのナショナリズムをくすぐる作品ではあります。でもこれは、バーンスタインの時、「ウェストサイド・ストーリー」の、、と必ず表記されたに似ています。

確かに「ノヴェンバー・ステップス」は超名作で、武満作品の、精緻で有りながら音色は透明で、音楽自体は有る意味では平明でさえある特徴をはっきり持って居ますが、それだけに代表される作曲家ではなかったはずです。

形式からしてもそうで、尺八や琵琶などと管弦楽を結びつけた作品は、私の知る限りではこの曲のみで、殆どの曲は通常の西洋音楽の楽器で演奏される作品です。

すでに武満さんは、「世界的な日本の作曲家」ではなく「世界有数の作曲家」と表記され認識されるべき事は衆々の言う通りですが、武満さんの他の作品にも「ノヴェンバー・ステップス」で見たような、「少し日本的」とも言える美しさが常に有るのを感じます。その「日本的な美しさのよりインターナショナルな部分」、を管弦楽作品などを聞きながら思うわけです。

その死によって武満作品全体が鳥瞰され、また今後長きににわたって新たに評価を受ける事となると思います。これからどのような評価をされるでしょうか、興味あるストーリーではあります。