2025年09月11日
_ [music] アリーナ・イブラギモヴァ:無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ全曲演奏会
昨年に引き続いて、王子ホールでイブラギさんのコンサート。今回は何とバッハのVn無伴奏です。9月の9日と11日の2夜で全曲演奏です。
やっちゃう人は、一晩で全曲演奏してしまうかもですが、2夜に渡るのは仕方有りません。事前に通し券の様なモノは無い事を確認して、発券直後にアクセス。もたもたしている内に、2夜とも端の方の席しか取れませんでしたが、このホールではあまり問題無いでしょう。よって、9日から12日までコンサートの為に上京して、演奏を聴いてきました。
昨年聴いたコンサート、中でも、とりわけ馴染みのあるヤナーチェクの曲(TVではカットされた)など、ちょっと激しすぎて何だかあまり楽しめなかった記憶があります。その他の曲は、放送されたTVで聴き直してみると、馴れたせいか、結構良かったです。
イブラギさんの無伴奏と言えば、若い頃に出したCDがかなり良い評判で、私も後日購入しました。他の大家の追い込んだ様な緊張感有る演奏では無く、見事な中でも繊細でどこかふわっとした、如何にも若い感性輝く美しい演奏で、少々異色ながら評価が良いのも良くわかりました。
昨年の演奏を聴いてみて、恐らく昔のCDからは多少変化した演奏になりそうだと、興味と多少の心配を持ちながら演奏会を迎えました。
まず第1夜の9日、予想通り使用楽器はピリオド楽器と思われます、弓がバロック弓でした。一番ソナタ冒頭から、繊細で丁寧な出だしてさすがと思いましたが、その後進むと、ソナタ一番全体としてはどうも纏まりの無い演奏で、何だか弓が暴れている感じでもありまして、あれあれ、、と思っていましたが、次のパルティータ一番から、20分の休息後のソナタ二番まで、実に見事な演奏でとても素晴らしかったです。
まずは、とても良く鳴る楽器と、繊細で冴え冴えしい音色で、魅了され圧倒されます。ただ演奏スタイルは、若い頃のCDとはやはり違いますかね。演奏を聴きながら、私は、一つ進化したのかな、とは思いましたが。
コンサートホールを出ての帰りの列の中、「・・あの弓が使える様になるには・・」と何方かの会話の断片がきこえました。前後の所が聞こえなかったので、どういう意見だったのか不明ですが、とても気になりました。
イブラギさんの、バッハの無伴奏のCDが出たのが2009なので16年前です。その後、王子ホールで2014年にやはりこの曲の演奏をしたそうです。16年前、11年前、そして今年となりますが、そちらも聴かれた方に、どんなだったかお訊ねしたいところですね。(ちなみに、イブラギさんは1985生まれとの事です)
1日はさんで、11日は例のパルティータ2番からの演奏です。流石に、この日は最初から最後まで見事でした。再度になりますが、この王子ホールも良いのですが、ヴァイオリン1挺なのにホールを覆い尽くすばかりに楽器がとても良く鳴っていまして、また音色がとても冴え冴えとして魅力的でした。
2度目の無伴奏の録音、出してくれないかな、とも思いました。
2025年09月05日
_ [computer] TVをパソコンモニタとした場合の設定
パソコンのモニタとして現在使用しているのは、概ね40インチ以上、4K2k以上なので、昔はいくつか有ったはずのそういったパソコン用モニタは、現在高価な物以外はほぼ全滅の状態です。まして、8kのパソコンモニタなんて無いので、液晶TVの方が安い事もあり、TVをモニタとして流用しているのが現状です。
以前買ったLGの8kTVをメインのモニタにしていまして、昨年から新しいCore-Ultra(Windows11)のパソコンをそのHDMI2に接続して併用しているのですが、以前から何故か、この新しいパソコンの画面がとても見づらくて気になっていました。
使用頻度も、概ね新しいCore-Ultraのパソコンに移ってきたので、見え方が悪いのをどうかしようと色々な箇所の設定を何度も調整してました。
まずは、定番のTVの方の画像設定ですが、どう設定してもあまり改良されなかったので、パソコン側のビデオカードの方のモニタの設定を調整して、少しは見やすくなりました。それでもまだ、なんか見づらい、です。
まずその原因の一つには、Windows11にあるらしいです。そう言われて見てみると、確かにWindws10であるもう一つの方のパソコン画面に比べて、文字がなんだか細くて見づらいです。システムフォント周りが変わった様で、同じ様な意見もよく出ているようです。システムフォントの見え方の調整方法も有るとのことで、やってみましたがあまり代わり映えしません。
調べた他の方法は、文字を大きくするとか云々ですが、文字大きくして画面あたりの情報量が減るなら、何のために8kにしてるのかわかりませんので、この方法はないですね。
この一ヶ月ほど、折にふれ各箇所の画像設定を操作してみて、やっと良くなりました。LGの8kのTVが対象ですが、効果が有ったのは概ね以下の通りでした。
[1]まず、ビデオカードの方から、HDCPを切りました。これで少し良くなりました。
[2]次に、TVのほうの画像設定で、「シャープネス」を0(最低)にしました。意外な事に、細身な新しいWindows11の文字フォントが、シャープネス0にするととても見やすくなりました。他がぼやけたりする事はありません。「シャープネス」は高い方が見やすいと思っていたので下げる事はしなかったのですが、本当に意外です。
[3]最後に、TVの画像設定で「映像省エネ設定」という項目をオフにしました。これが一番効果があった気がします。要するに、色々設定しても「映像省エネ設定」がONだと、自動的に上書き調整されてしまうようです。(余計なお節介だ!)
あとは定番の、TVの方の画像設定と、ビデオカードの方の画像設定を、少しずつ繰り返し調整して、やっと問題ないところまで来ました。
2025年08月29日
_ [audio] Gustard A22のUSB入力が不調になり、SMSL PO100 PROでI2S接続。
本日、Gustard のDAC、A22で音楽を再生させようとすると、ソフトがエラーになります。
調べてみたところ、コントロールパネルの「サウンド」で見てみても、該当機器が表示されておらず、Windowsがそもそも A22を認識していない様です。
一応、ケーブルもチェック、ドライバも削除してから入れ替えてみましたが、状況に変わり有りません。入力をUSBに選択時の表示は、パソコンに繋いである/ない、に関わらず常に44.1で接続されている表示のままです。
他のパソコンで試してみても、やはり状況は変わらず。しかし、A22の代わりにGustard U16を繋ぐと認識されました。このU16から、I2Sで A22に接続するときちんと再生されます。
以上から、どうやらA22のUSBレシーバ基板が駄目みたいですね。XMMOSの定番の物を使っているらしいので、一応どっかで売っていないか探しましたが、流石に同じ基板は無いようです。
蓋を開けて、中のUSBレシーバの基板の様子をチェックするのは、また休みの日にやるとして、現状I2Sでは音が出るのですから、I2S出力を持つ、安いDDコンバータは無いかと探しましたところ、SMSL PO100 PROと言うのが見つかりました。おまけにセール中で、8千円以下でしたので、発注してしまいました。(U16経由では、どうやっても、時折音がとぎれます。同じメーカーなのに、よほど相性が悪いようです。ちなみに、同じ報告は沢山あがっていまして、私も最新のファームウェアをいれてみたりしましたが改善されません。メーカーとしても、それで後継機のU18を出したのでしょう。)
HDMIでのI2Sでは、メーカーによって微妙にピンアサインが違うので、メーカーも違う事もあり、使えるかどうか(切替の選択は2つだけ)、多少ギャンブル的なところがありますが、、、
追記:SMSL PO100 PRO届きました。ASIOドライバは、この所購入した他のSMSLの製品と同じものです。でも、これだと、同じパソコンに、複数のSMSLの製品を繋げる事が出来なさそうです。
取扱説明書に、I2SのHDMIピン配列がのっていましたので、Gustardのピン配列表と見比べて、(2)の方を選び接続しますと、問題無く使用できました。
2025年08月14日
_ [wine] Vinica 10月で運営終了
昨晩飲んだワインのコメントでも、と思いアプリを開けたら、Vinica終了のお知らせ、と言うタイトルが目に入った。
正直な所、いつまで続くかなぁ、とは時折思っていたけれど、ちょっと予想よりは早かった気もします。考えてみれば、収益の見通しが無さそうなので、何時までも無料では運営も成り立たないでしょう。
前々より、もしやめる事になっても投稿データはもらえるだろうとは思っていましたが、その通り、10月の終了間際をめどにダウンロード可能な様にしてくれるみたいで、その手続きを進めました。まだ、どういう形でデータを引き取れるか不明ですが、、
この所記憶力がかなり曖昧なので、飲んだワインの記録は何とか続けておきたいのですが、今後どうするか、すこし検討しないといけませんね。
2025年08月13日
_ [computer] 落雷で、パソコン等の故障多数
昨日夕方、ごく近所に落雷があった様で、直後に帰宅したら、以前程ではないけれど、それでもあちらこちらに不都合箇所が多数。
まず、工場のボイラーが作動不能の後、電源が入らなくなりました。
工場2Fの電源が落ちてしまっていたのは、ブレーカーが2カ所切れていました。それを復帰させると電源も戻りこちらは一安心。
監視カメラの1台が映らなくなっています。
部屋に入るとピーピーと音がするので、見てみるとOKIのプリンタが、動作エラーになっていました。
部屋の2台有るパソコンの1台が落ちていて、電源が入らなくなっています。
生きている方のパソコンからも、ネットワークが繋がらなくなっていました。
ボイラーはメーカーの緊急呼出番号に電話して、修理をお願いしました。監視カメラの不調はそれほど緊急ではないので、お盆の休み明けに修理をどこかに頼みたい所ですが、見たところ最近の監視カメラは有線にしろ無線にしろ殆どLAN接続。修理と言うよりは、全取っ替えになる可能性が高いですね。
ネットワークが繋がらなくなっていたのは心配しましたが、ルーターやNASサーバーは正常でした。調べてみた所、手元の16ポートスイッチが原因の様で、臨時に他のルーターに交換すると通信できました。でもLED表示などからは正常そうに見えていたので、試しに電源を入れ直してみると、無事復帰しました。
電源が入らなくなったパソコンは、取り出して分解し、とりあえず使用していない550Wの電源を探し出して来て、交換しますと起動しました。ATX電源が死んでしまっていた様です。マザーボードとかCPUまで死んでいたら結構面倒なのですが、まだ良かったです。すぐさま、新しい電源を手配しました。
本日午後から、パソコンの電源の交換に入りましたが、このパソコンMicroATXですが、ケースはRaijintekのMictoTAXとしてはかなり小さいサイズの物を使っていまして、もとより組立は割と大変です。
新しい電源は先のより少し大きくなったので、更に難易度が上がり、マザーと電源を設置してしまうと、後から配線できない箇所が幾つか出てきました。一カ所、面倒なので無理に配線しようとしてソケットのピンを曲げてしまいまして、電源からマザーボードまで再度全部ばらしてから、そのピンを矯正するはめになり、結構時間がかかりました。
CPUクーラーのフィンやその他で怪我をした事が何度かある過去の経験から、パソコンを組む場合は指先カットの手袋をする様にしていますが、気がついたら、その出ている指の所をまた怪我してしまいました。そんなこんな有りながら、2時間以上かかりましたが、電源交換でパソコンは復旧しました。
あとはエラー表示がでているOKIのプリンタですが、電源再投入でも初期中に同じエラーになり症状は変わらずです。これはどうも、基板がやられてしまっている様で、もう駄目かも知れません。休み明けに、代替えを考えなければ、です。
追記1: お盆明け、PC-98で仕事をしたら、前回の落雷の時と同じくネットワークが使えなくなっていました。もう勘弁してくれと言う感じ。見たところ、ネットワーク用のドライバの組み込みでエラーになっていましたので、イーサネットカードが駄目になっている様です。
念のため、LANケーブルを他のパソコンに繋げてみた所、繋がりません。元までたどって調べてみると、どうやら先に不調だった16ポートスイッチの、その該当ポートのみがおかしいみたいです。ケーブルには問題は無く、ポートを変えて繋ぎ直すと通信可能でしたので、そのポートは使用不可としました。PC-98本体の方は、さらに予備として保管してあった同じ型のイーサネットカードに交換しますと通信可能になりました。これで、このカードの交換は2回目になります。
そのうち、エミュレータに移行するつもりでしたので、この際に思い切って移行する事も考えましたが、本日更新分のバックアップが取れていないので、ネットワークカードの予備も有ったし、とりあえず現状復帰を目指しました。
追記2: 監視カメラの方は、有線接続の場合、現在はほぼ全てIP接続の様です。現状の装置は、ずいぶん昔、父がどこかで設置して貰ったのが元で、その後機器が故障したので、同軸の配線はそのまま利用して、秋葉原で私が購入した機器に交換したものです。同軸での配線なので、配線自体から機器も交換するのが妥当でしょう。
調べてみると、「配線レスキュー」と言うサイトがあり、連絡すると、地元の業者さんが見に来てくれました。配線の交換だけなので、ちょっと申し訳ないのですが、こちらで交換して貰えれば有り難いです。
2025年08月10日
_ [computer] プログラミングの昔話
仕事にしている訳ではないので、プログラムを書くというのは、ずっと趣味です。昔々、マイコンでのBASICしか無かった時代でも、とにかくプログラムを書いて動かしてみる事が出来るのが楽しかったです。
初めてプログラミングと言うのをやったのは、高校2年生位の時だったかと思います。未だにパソコンはおろか、TK-80とかのマイコンも出ていない時代です。(TK-80は1976年発売との事ですから、丁度その直前くらいだったですね)高校に、誰も使っていないHitac-miniと言う機器があるのを見つけ、一緒に有ったマニュアルを読んで、遊んでみたのが最初です。丁度その頃NHK(多分ラジオだった様な気がしますが)でコンピュータ講座があり聞いていました。高校時代のNHKの放送では、後年大学で教えて戴く事になる、米田先生も講師をしておられたのを憶えています。
Hitac-miniは当時有名だったミニコンのHitac-10をおもちゃにしたみたいな機器で、機能としては数年後に出てくるプログラム可能な関数電卓と同じぐらいでしたが、当時の私には楽しくて仕方有りませんでした。初歩的ですが、円周率の計算とかさせて喜んでしました。普段の日では、使用する事があまり出来なかったので、ある日曜日、普通に制服を着て高校に行って、こっそり部屋に忍び込んで使っていたら見回りの先生に見つかった事があります。(幸い、無罪放免してくれた)
大学に入ってコンピュータ研究会に入ると、大学の汎用コンピュータMelcomが比較的自由に使えました。当時はプログラムはパンチカードでした。端末もありまして、マシン室の端末が空いていれば(顔パスで)自由に使えました。今だとセキュリティ上考えられない事ですが、当時はおおらかでした。しかし、当初端末は1台で、パンチカードタイプライターは2台、業務が優先ですからそれほどずっと使えた訳でもありませんし、課金が有りまして、CPUタイム1秒で1円でした。でも使えるのは、主にFortoranとCobolだけでした。
大学入ってすぐの学祭の時に、誰かがTRS80を持ってきました。初めて使ったBASICですが、学祭の展示の為と言う事で、学祭中ずっとTRS80で色々なプログラミングしてました。内容は、迷路を作ったり解いたり、とか、色々なゲームを作ったりとか、今となって全く大した事ないものなのですが。
それ以後、マイコンと言われていた物が少しずつ出回る様になり、友人と秋葉原のマイコンショップによく見に行きました。AppleIIなんて、高価でしたから、憧れでした。その数年後、やっと自分のマイコンFM-8を購入しました。グリーンモニタで当初はカセットテープの記憶装置です。ラップトップパソコンと言う物の実機がまだ出ていない時代、電車の中なんかの移動中でもプログラミンが出来たら、どんなに楽しいだろうと思っていましたが、実際にそういう環境になっても、結局そんな事しなかったですね。
昔はプログラム言語の処理系も有料なのが当たり前で、フルセットのC(Whitesmith-Cなんてのが有った)とかなどは何十万円もしていたと思うのですが、最初に買ったのは整数処理しか出来ないDOH-Cと言うCのコンパイラですが、FM-8上で動かせていまして、とても楽しかったです。それから、地元に帰って、仕事の為という名目でPC-98を使う様になるのですが、、まだ先が長いのでこの位で、
今や、プログラミング開発の処理系は無料が当たり前で、何でも選び放題です。「こんな風になったら、どんなに楽しい事か、」とか思っていた事が現実になっても、実際はそれほど感慨が無い事にびっくりしますね。結局私が一番熱心にプログラミングしていたのは、informix+MSCでPC-98のMS-DOS上で色々書いていた頃でした。続けてWindows上でも色々挑戦はした気がしますが、結局はあまり書く気がせず、どれも中途半端でした。
そう言えば、UNIX上では、NetBSD+Postgres+rubyで顧客管理のシステムも書きました。ネットには繋がっていないシステムなので、旧バージョンとなっても問題が無いので、未だに使っています。本当の所は、さすがにもう改修した方が良いのでしょうが、もうやる気が無いと言うのが本当の所で、プログラミング出来る事自体を楽しみにしていた昔との差を感じます。
_ [computer] Python+win32com+Excel
それでも、必要にかられるとまた別です。プリンタ関係の事情から、事務関係の幾つかの処理を、やっと、と言うかいよいよPC-98+MS-DOS上からWindowsに移す事になりまして、Excel+pythonで少しづつやっています。とっかかりは、数年前に買った「PythonでExcl、メール、Webを自動化」と言う本です。
openpyxlというのは、この本で知りましたし、SMTPサーバにアクセスして、セラーの温度監視のMailを送る様にしたのもこの本を参考です。具体的には検索して見つけた、コードも参考にしました。
昔から、新しい処理系でのプログラミングなんかのやり方は、「まず本を探して買って勉強して」でしたが、大分前からは「知りたい事をネットで検索して」が加わっています。
そして、最近は「Chat-GPT(AI)に教えてもらう」と方法が加わりました。一応毎月3千円弱も課金しているので、利用しないと勿体ない、と言う事もあります(他の事にはほぼ使っていません、やはり勿体ないですね)。ただ、流石に「全部書いてもらう」というのは駄目です。私は、何やってるのか分からないのが嫌いなので、たとえちゃんと動いたとしても、一応プログラムの内容は理解できないと気持ち悪いです。
Excel+pythonでは、前述のopenpyxlと言うライブラリを使うのが多い様ですが、更にシート操作を考えた場合、openpyxlでは出来ないと、どっかでのネットの解説で有ったので、此処をChat-GPTに訊いた所、VBマクロとVBスクリプトの組み合わせを提示してきました。Excel操作ならやはりVBを使う事になるかなか、と思っていましたので、その予想通りだったので、その方向で考えました。
そこで、Chat-GPTにちょいちょい質問しながら、結局VBマクロを備えた".xlsm"のエクセルファイを作り、VBスクリプトでそれを動かして作業をする。と言うプログラムを書きました。
これでやりたい事は一応解決なんですが、私はどうもVBが好きではありません。そこで、試しにChat-GPTに、これpythonで書けない?、と訪ねた所、pythonでも同じ事が出来ると返答してきました。win32comを利用したサンプルコードも書いてもらい、その後に、最近のトレンドとして、どっちが良さそう?、と聞いた所、pythonの方がお勧めとの返答です。(それなら、最初から、こちらを提示して下さいよ)
翌日本屋さんに行ったので、パソコンのコーナーの新刊を見ると、「Python X Excel X AI 業務自動化の教科書」なる本が出ていまして、ざっと内容を見てみると、まぁ何と!、昨日Chat-GPTと色々相談して書いたプログラムのストーリーがそのまま載っています。私は昔の本好きの人なので、ほぼ分かっている様な内容かなぁ、と思いつつも、ついつい購入しました。
お盆の休みの日に、全部一通り目を通してみましたが、ほぼ最初の予想通り既知の事が殆どですが、流石にそこはページ数の有る本なので、微妙に細かい所を埋めてくれるのは、それはそれで良かったです。seleniumも一時はまってプログラム書いたし(その折は、ネットで検索した情報のみでした)、やってないのはPDFとか、グラフ書いたりとか、AI APIを使うとかですが、それらは近々には使用する予定はないです。DBとの接続は、今後有るかも知れませんので、その時は参考にさせてもらいます。総じて読みやすくて、時節に合った良い本でした。
やはり、ちょっと変な事でも色々AIに質問できるのは楽しくて、win32comは何で"32"なの?、とか、調べた所COMは古い技術で(その以前は"OLE"らしい、この名前は結構聞いた事がある)後継として出ているのが、良く名前を聞く".NET Framework"との事なので、win32comでなくて".NET Framework"で書けないかとか訊いてみたりしました。(出来る様で、サンプルコードも書いて貰ったけど、この目的にはあまりお勧めでは無い由)
こういう事なんかは、ネットで検索して調べると結構大変だから、AIがとても役に立ちますね。
2025年07月24日
_ [misc] 「 川の流れはバイオリンの音」聖地巡礼、クレモナへの旅(1998年)
本日、BS4kの、「4Kプレミアムカフェ」の枠で取り上げられ、再放送されました。
中落合の下宿に居た頃ですから、大学3、4年の時、二十歳ぐらいの頃でした。(既に45年ほど前の事です)その日は休みの日で、昼前まで寝ていました。季節は多分暑くは無い頃、当時はアパートにクーラーは無かったですから。
昼頃に布団から起き出して、お腹も空いたので、すぐ近所の中華料理屋さんへ昼食を食べに行きました。典型的な町中華屋さんです。まぁ定番の様に、天井近くにしつらえた小さな棚に、小さなテレビを備えてあって、つけっぱなしです。
何時もの様に、たぶんチャーハンか餃子など食べながら、そのテレビの見上げて見ていましたら、、何か印象深く引き込まれるドラマの様なのをやっていましてた。普通、こういう所のテレビって、チャンネルはずっと民放にしてますよね。まぁ珍しくてNHK総合、なのにその時は、NHK教育番組のチャンネルだったのが、今考えても不思議です。
食べながら見入ってしまい、食べ終わって店を出たら速攻で下宿に走って帰って、その番組を最後まで見ました。それがこの「川の流れはバイオリンの音」でした。割と最初の方だったと思うけど、途中から見たという事も有り、どういうドラマかも良く解らないまま、とにかくとても強い印象を受けた番組でした。(今調べたら、以下の放送を見たらしいです。「1981年10月11日(日) 午後01:05 〜 午後02:24」、私はずっとNHK教育だと思っていましたが、本当はどうだったか実は不明。初放送は、この年の5月1日だった様です。)
それから時代は下って、私も大学卒業、大学院卒業から、就職してそして帰徳。それからまもなく、どうやって、どこから情報を得たのか全く覚えていませんが、昔見たあの印象的な番組が、「川の流れはバイオリンの音」と言うタイトルだった事、その作品が再放送される事、また、作った人は佐々木昭一郎と言うNHKの人だと言う事、実はあと続編の様な同様な番組が2つ有って、「川3部作」と言われている三作を合わせてをまとめて再放送する事を知りました。
確か休日で、親戚の人が来ていて、番組は見れませんでしたが、3作品ともVHSテープに録画しました。やっと、昔衝撃を受けたドラマを最初から見る事が出来た訳です。そして、その3作品、『川の流れはバイオリンの音 〜イタリア・ポー川〜』(1981年)、『アンダルシアの虹』(1983年)、『春・音の光』(1984年)を何度も見返しました。
なので、初めてイタリアはトスカーナに行く計画を立てた時、クレモナにも絶対に行ってみたい、と思いました。当時はそういう言葉は無かったですが、これはまさしく「聖地巡礼」なのです。
1998年秋、私が39歳の時、フィレンツェからトスカナとクレモナに行くイタリア旅行を計画し、行ってきました。
元々は、イタリア人で、キャンティでワインの醸造をやってる奴と(すでに事の始まりは全く覚えていませんが)知り合いになって、「一度トスカナのワイン造りを見てみたい」と言うと、案内してやるから来い、と言う事になったのが始まりだった様な気がします。それから、その前のある会でのヨーロッパ旅行で、その会のメンバーの知人で、その折イタリアでのガイドをしてくれた、やはりトスカナに住んでいる日本人のNさんとのつても有りましたので、イタリアでの全体的なガイドはそのNさんにお任せしました。
すでに、途切れ途切れでしか記憶がありません。フィレンツェの事はよく覚えていませんが、キャンティからシエナ、モンタルチーノの畑や醸造所巡りは、そのイタリア人友人にアポとガイドをしてもらい、その後Nさんに、クレモナまでのガイドをお願いしました。当初から、クレモナには余裕を持って2泊する事にしていました。そのガイドをお願いした方が取ってくれたホテルは、クレモナ市街から結構離れた所だったのは、少々残念でした。
朝、ガイドの方の車で、ホテルからクレモナ中心部まで連れて行って貰いまして、確かそこでガイドの方とは別れたと思います。ホテルからは、車でも少し走りましたので、クレモナの街から3、4km位有ったんじゃ無いかと思います。途中でポー川を渡るのですが、そこが鉄橋でして、下を見ると川の河川敷が、全くテレビで見た通りでした。ドラマで出てきたあのジプシーの演奏家たちに演奏してもらったのって、この真ん中だとねぇ、こんなところで撮ったのかい、と思いました。
一人で、朝から1日かけて、クレモナの街中を観光しました。小さな街だったので簡単に回れたのを覚えています。何度も見て、すでの頭と目に焼き付いたドラマで出てきた場面を、思い出しながら回りました。有名な広場と鐘楼、ここでは、まず鐘楼に登りました。それからバイオリンの博物館、ここで、展示、f孔に関するスケッチなどがあったので、熱心に見ていたら、係員さんから、「バイオリン、弾いてみますか」と声をかけられました。この時ほど、楽器が出来ない自分が情けない、と思った事は有りません。少しでも出来るなら、此処でバイオリンを弾いてみたかったなぁ!。
街を回ると、ドラマの最初の方に出てきた帽子屋さんも直ぐ見つかりました。店に入って、自分には似合わないのを覚悟で、同じようにベレー帽を買いまして、A子さんの様にずっと被っていました。
「ヴィア・デル・サーレ塩の道」は直ぐ見つかりまして、道に沿って歩きますと、ドラマと同じようにボー川にでます。でも、とても近いです。途中の様子も、映像で見たとおりです。確か、脇道への木の柵は無くなっていたと思いますが、礎石が残っていた様に思います。ここからA子さんの様にクレモナを眺めた写真があります。番組で出てきた、車が突っ込んで事故したのは、ここらだよなぁ、なんて思いながらの聖地巡礼です。
昼は、どこだったか、メニューか何かに日本語が書いてあったレストランを事前に見つけてあったので、そこで食べましたが、何を食ったのかは憶えていませんが、最後で食べたティラミスが、超絶美味しかったのを良く憶えています(サイズの大きさもびっくりでした)。今まで食べた中で最高のデザートでした。確か、そのレストランの前にタクシー乗り場があったので、帰りはここでタクシーに乗ってホテルに帰れば大丈夫だな、と思っていました。
しかし、塩の道をポー川まで見に行ってたりしたからか(ドラマで見る感じより、ずっと近いのですが)、街を散策しすぎたせいか、夕方暗くなりかかってそのタクシー乗り場に行ってみると、一台も居ないのです。状況、詳しく憶えていませんが、途方に暮れてしまいました。仕方なく歩き始めたのだと思いますが、朝、車で来た、ポー川を渡る鉄橋が目の前に見えていて、その橋を向こうに渡るバスが来たので、よほど乗ってしまおうかと思いましたが、乗れず、、、
夕暮れは思ったより早くて、一気にどんどん暗くなって行きます。「ホテルはあのポー川を渡る鉄橋の向こう、よし、歩いて帰ろう!」と、まぁ、今思っても、そんな事よく考えたものです。渡った後のホテルまでの道順なんて、朝車で通ったのを見ただけですので、ほぼ分からないんですが。でも、何故か、何かすごくハイテンションだったのです。歩いて鉄橋にかかった頃は、ほぼ真っ暗になっていました。車の通りも多くない、歩いている人なんて、周りに誰も居ない、でも何かとても高揚していて、A子さんが走っていた河川敷を下に見ながら、大声で歌を歌いながら橋を渡ったのをよく憶えています。
橋を渡った後、ホテルに行く方向は、殆ど「カン」です。町中では無く、完全に郊外で家がまばらに建っているだけで、もう真っ暗です。何度も曲がる道では無かった筈ですが、まっすぐな道ではありませんので、確信も何も無く、ただ感で歩いていました。途中で、少し離れたところに、明かりのついている小さなバールかレストランが有りました。どうにもなんなければここまで帰って、あのお店の人に道を聞こう、と思ったのを憶えています。それからまたしばらく歩いて、角を曲がったところで、左手向こうの方に、昨晩泊まったホテルの灯りを見つけたときは、本当に安堵しました。
翌日は、計画としては朝早く鐘楼の前に行って、A子さんと同じ様に、鐘楼が開くまで前の階段で座って待つ予定でしたが、ちょっと遅れたみたいで行ったらもう開いていました。ちなみに鐘楼のエントランスの感じは、番組の頃とは変わっていました。それでも、朝一番だ、と思い、昨日と同じくドラマと同じように高い塔のてっぺんまで駆け上ったら、若い外国のグループの人たちがもう来ていまして、塔のてっぺんで、何か歌を歌っていました。気の良い人たちで、おまえも何か歌えと言うので、「荒城の月」を歌ったのをよく憶えています。
それから、またヴィア・デル・サーレを通ってポー川に出て、川の渦巻きがよく見える川の土手に寝そべってぼーっと川面を見ていました。2、3時間は、ずっと川面を見ていたでしょうか。穏やかな日でした。周りに人は殆ど居ません、静かなものです。すこし離れた土手の脇に、何だか観光保養施設みたいなのがあったのを憶えていますが、
ポー川で川面の流れを眺めながら、ぼーっと時間を過ごして、色々あったイタリア旅行ももう終わりです。午後の急行でミラノまで行って、時間があればミラノ観光でもと思っていましたが、何を呆けていたのか、急行の発着するホームが変更になるアナウンスをちゃんと聞きながら、何故だか違う列車だと思い込んでいて、目の前で乗り過ごしてしまいました。次のミラノ行きまで3時間ほどあったと思うので、もう一度街を回って、夕方にクレモナを後にしました。
ミラノの駅に着いたら、もうすっかり暗くなっていました。でも、ここの駅でもタクシーがつかまりません。一緒に駅に降りた他の地元の人は、携帯でタクシーを呼んでいる模様。やっと1台いたと思って声をかけたら、そこでご飯食べるから待ってろ、と言う、まるでイタリア。それから30分位でしょうか、いくら待っても他のタクシーがつかまらず、結局そのタクシーに乗せてもらって空港近くのホテルにたどり着きました。その日の夕食として、そのホテルで食べたパスタがとても不味かったを、憶えています。最後の方は少し上手く行かなかったけど、人生の想い出に残る旅行が終わりました。
齢は40になる少し前、結婚もして子供も出来た頃、40歳と言うもはや若者とは言えない年代を目の前にして、クレモナからミラノへの車中で、二十歳の頃からの道標であり憧れでもあったこのクレモナへの聖地巡礼を経て、青春の時期との別離を感じ、その事を手帳に書いたのを憶えています。でもその手帳も、もうどこにあるのか分かりません。
今回は、番組終わりで、是枝監督の話と、主演の中尾さんの話を聞けた事は、新たにとても興味深い事でした。とりわけ中尾さんは、彼女の人間性が透けて見えるA子さんあっての、この川3部作でもありましたし、、。そしてこの度、中尾さん主演の佐々木昭一郎作品が、この川3部作以前に、2作も有る事を初めて知りました。録画、まだ見ていませんが、とても楽しみです。
見る度に思いますが、このドラマ、何にしろストーリーと言えるものは無く(何かありそうで始まってはいるけれど、結局うやむや)、普通に考えると変な所も多々あります。大体、元のアントニオさんなんてどう見てもバイオリン作ってる様に見えませんし、なんでどこから出てきたのか分からない方々も多数、途中に何でこんなストーリーが出てくるのか不明な所もまた多数、えらく立派なオペラ劇場で掃除機の電源入れず床を擦ってるのもとても違和感、、なのですが、即興風に短く綴られてゆく異国の映像と話には、何度見ても強烈に惹きつけられてしまいます。
普通には不完全とも思えるこの番組、私にとっては、若い頃の青春のモニュメントであり、それ以降の人生の憧憬であり、そして墓標でもあるのかと思います。
2025年07月16日
_ [computer] Keychron V3 Max キートップ交換
しばらく前に、Keychron V3 Maxと言うキーボードを購入しました。2.4G無線接続が可能な茶軸メカニカルJIS配列キーボードであり、筐体も打ちやすさを追求した物で、現時点で最良と思える物でした。ただ、実際に使ってみると、キートップ上面が小さく丸まっていて、何だか少し気になるのです。この形状は「OSAプロファイル」と言うのだそうです。
昔の高級タイプライターって、こんな感じのキートップだった様な気がします。Keychronも、もしかしたらそれを標榜してこのOSAプロファイルのキートップにしたのかも知れませんが、私には普通に四角くくて面積が広めの方が打ちやすいです。(こちらは、ASAプロファイルと言うらしい)
このキーボードは、ホットスワップと言ってキースイッチから交換できるので、(有線である事が唯一の欠点だと思っている)現在一番気に入っているiKBCのキーボードをもう1台購入して、スイッチごとキートップも交換しようかと思いましたが、PBT2色成形のJIS配列のキートップ(キーキャップ)がFILCOから出ているのを見つけたので、そちらを購入しました。
本日届いたので、早速キートップを交換してみました。事前に、写真でスペースキーの大きさも同じである事は確認してあったので、問題は無いかと思っていたのですが、スペースキーを交換すると、キーが動きません。
スペースキーの様にサイズの大きなキーは、キースイッチの他に、支える為だけの小さなスイッチの様なのが有って、それも差し込んでキートップを支えているのですが、どうやら、スペースキーの左右に有るそのサポートの差し込み位置が微妙に違うみたいで、一応FILCOのキートップでも押し込めるのですが、動きが悪く、まともに使えません。他のキーは問題ありませんでしたが、スペースキーの交換だけは無理でした。
それでも、その他のキーの交換には問題は無く、また、スペースキーに限っては、元のキートップもFILCOのもほぼ同じ形なので、実使用においてはほぼ問題はありません。キートップを交換して、本当に良くなりました。FILCOのキーキャップセットも、結構高かったのですが、交換して良かったです。ただ、交換できなかったスペースキーだけ青基調なので、そこだけ色が違うのを少々違和感に感じる事もあります。
現在、Keychron2.4G無線接続で使用中ですが、まず内蔵バッテリーでどの位持つかです。前任のLogicool Signature K855は単三2本でしたが、もう電池駆動であるのを忘れるくらい省電力です。流石に、LogiBoltと言うプロトコルを売りにしているだけの事は有り、この無線接続の精度は有線接続とほぼ変わらず、とても良いです。
こういう無線接続の場合、暫く使っていなかった場合スリープ状態になっている様で、最初にキー入力した折、その最初に押したキーを取り逃がしてしまう事が結構あります。例えば、マウスでエリアを選択して最初にCtrl+Cを押した場合、その領域のコピーでは無く'C'になってしまいます。Logicoolの場合には、そんな事無かったと思います。
そう言う意味では、この無線技術を持つLogocool Signature K855を改造したい気もしますね。実際に、キースイッチを交換できる様にする為、ホットスワップ仕様に改造する記事を見ました。私もやってみたいですが、何だか勿体ないなぁ、、
追記:Logitechの無線規格ですが、以前から有るunifyingと同じく、LogiBoitもてっきり独自の2.4Gだと思っていたのですが、調べてみたら「Bluetooth Low Energyワイヤレステクノロジー」を使用してるとの事でした。通常のBluetooth接続のキーボードは、スリープからの復帰が遅くていらいらするし、BIOS画面では使えないとかあるので、はなからBluetoothでは駄目だと思っていますが、専用レシーバを使うLogiBoltは違う様ですね。
追記2(8月9日):FILCOのスペースのキーキャップが、合わなかった件ですが、スペースバーなので良く出回っているUSキーボード用のパーツがどっかで有るはず、と思い、ネットで4.5uのスペースキーのキーキャップを購入してみました。一般のUSキーボード用かと思いましたが、Filco用とあったので、もしかしたら駄目かなと思いつつでしたが、やはり合いませんでした。
丁度東京に出る機会がありましたので、実物を持参して、秋葉原の遊舎工房に行きました。店頭でも4.5uの該当のスペースキーが無かったので店員さんに相談してみると、何と「4.5uの長さのスペースバーは、日本語配列のキーボードでしかない」との事です。どうりで、何処にも売ってないはずです。
それでは仕方ないです、後は自分で加工して使用できる様にするしか有りません。具体的には、サポートの差し込み位置を、1mm弱程外に広げる必要があります。
少し細かい所の作業になるので、精密作業用の工具が必要なので、幅1mmと1.6mmの平刀を探して購入、それから、小さなルーターと細かい作業用のルータービットを購入しておきました。
本日、まず後から買ったキーキャップで作業して何とか出来る事を確認してから、FILCOのスペースキーキャップの加工を済ませました。出来上がりには、今のところ問題ありません。
実際に主に役に立ったのは平刀で、ルーターは後を整えるぐらいでした。スペースバーの色だけですが、やはり統一感があって見た感じとても良いです。このFILCOのJISキーボード用のPBTキーキャップはとても感じが良いですね。(画像奥は、常用しているiKBCのキーボード、こちらが無線化した物が有れば良いのですが)
2025年07月13日
_ [audio] DAC移動によるラック小再編&リスニングルームの機器一覧
Cyan2を購入したので、主にリスニングルームや電気工作部屋として使っている部屋の、ラック内の機器の場所などを若干入れ替えました。Cyan2とSagraDACとの入れ替えですが、サイズが大きくなったので、その他の機器も配置換えになりました。
その他の機器は、SX-8000を設置した以外は、10年以上あまり変わっていませんが、この機に2025年7月時点でのラインナップを記載しておきます。
レコードプレーヤー:Micro SX-8000, SAEC WE-407/23
CDプレーヤー(1):SONY CDP-701ES
CDプレーヤー(2):STUDER A730
DAC(1):Holo Audio Cyan2+Singxer SU-2
DAC(2):TEAC UD-701N
チューナー:SONY ST-S222ESA
プリアンプ:Aurex SY-88, PASS ALEPH-P
メインアンプ:UREI 6300, Musical Fidelity A370-2
天板の3台の機器は、電源の品質測定の為の計測器ですが、暫く前から、歪み率計が動作しなくなっていまして、既に電源も外してあります。画像はありませんし、ずっと変わりありませんが、ついでにスピーカーシステムも記しておきます。
スピーカー(1):UREI 813 + FOSTEX GS90A
スピーカー(2):Quad ESL
スピーカー(3):Krell Resolution 1
スピーカー(4):Westlake Audio BBSM-10
DAC以外は、この所長らく変わっていません。それ以外では、今後チューナの入れ替えが有るかも知れませんが、あとの機器は壊れて修理不能にならない限り、もう変わらないかも、です。
MusicalFidelityは冬期のみの使用で、暖房補助の役割もしています。SX-8000を再稼働させてから、プリアンプはフォノイコが付いているSY-88ばかりになっていまして、ALEPH-Pの出番がかなり減っています。隣の棚には、メンテしたナカミチ700や、The PowerやSpectralのプリも有るのですが、今のところ出番がありません。ちょっと勿体ないですね。また、この部屋には、ワークベンチでの電気工作中専用のサブシステムも有ります。
ほぼオリジナル状態のCDP-701ESやA730が、未だに正常に作動しているのは、なかなか珍しいと思います。共に、亡き父親が購入し所有していた機器です。A730は販売店でももう修理不能と言われたらしいので(それまで何度か修理に出したらしい)、私が引き受けて各部清掃やメンテなどで何とか復活させました。CDP-701ESは、当時既に使っていなかったのを貰いましたが、時折調子の悪い時が有りながらも、まだ何とか動いています。両方とも、今後いつまで正常作動するかは不明です。(1、2ヶ月に一度は動かす様にしています)
しかし通常は、自作の10Mルビジウムクロックを受けた、2台のDACからの再生がメインです。それぞれサイドの2台のミニPCからUSBで接続して、ネットラジオや家のNASの音楽データを再生しています。
4系統のスピーカーは、自作の保護機能付きのSPセレクタを使用して切り替えています。ESLは、使用前に数時間ほど通電しておく必要があるので使用頻度がかなり少ないですが、それ以外は割と均等に使っています。
_ [audio] リビングのオーディオ機器
上記に工場2F、リスニングルーム(もどき)の使用機器一覧を載せたので、この際リビングと書斎のオーディオ機器一覧も載せておきます。どちらも、新しいDAC以外は10年以上変化無しになっています。もしかしたら、今後最後まであまり変わらないかも知れません。
SP(1):UREI 813BX + FOSTEX GS90A
SP(2):DALI Skyline 2000
SP(3):Westlake Audio BBSM-6F
PreAmp:Spectra DMC-10, PASS ALEPH-P, GAS Thaedra
MainAmp:SAE A1001, SUMO The Power, Krell KSA-200
Player:Micro BL-999 + SAEC WE-407 + DENON HA-1000
CD:Theta Data basic(Transport) + Theta DS Pro prime II(DAC)
MD:SONY JA333ES
DAT:SONY ZA5ES
DAC:Pioneer N-70A, Apogee Rosetta 200, Gustard R26
アンプのラインは、DMC-10 & A1001, ALEPH-P & ThePower, Thaedra & KSA-200 の3系統になっていまして、最初の頃は、夏期がA1001、間の時期がThePower、冬期がKSA-2000としてきましたが、ラインを変更するのがだんだん面倒になってきまして、最近はDMC-10+A1001しか使っていません。それで不満が無いからなんですが、KSA-200は時折聴きたくもなります。でも、熱くなるのでほぼ使っていません。
アンプと違いスピーカーは自作切替機を使っていますので、Skyline2000が少し頻度が少ないくらいで、割と均等に使っています。
MDやDATもまだ再生可能にしてあります。実はDCCも置いてありますが、それを含めて最近使っていないので、正常に動くかどうか不明です。CDトランスポートのThetaは、ローディングとかの機構がゴムベルトで無く歯車の様で、以前ガチャっと音がして動かなくなったので見てみたら、歯車が割れていました。歯車を直す事は考えず(実際にはまず無理)、トレイ前面に取っ手を付けて、ローディングを手動でやる事でちゃんと動いています。
現在音源としては、ほぼ100%がPCに繋いだDACからで、上記音源ソースの機器と共に、レコードプレーヤーのBL-999も、殆ど使っていません。確か、ヘッドアンプのHA-1000の内部リレーの接触が悪くて、何度も入り切りを繰り返さないと音が出なくなっていたと思います。
場所は広めなのでSPなど結構立派なシステムですが、リビングなので音を出すのは、休日で家人が他に誰も居ない時間帯限定です。月に二度くらいでしょうか。
_ [audio] 書斎(もどき)のオーディオ機器
SP(1):Celestion 3
SP(2):Westlake Audio Lc6.75
HeadPhone:STAX SR-Σ(Pro仕様), STAX SR-L300 Limited, AKG K1000, Sennheiser HD600
PreAmp:YAMAHA C-1, Accuphase C-230
MainAmp:YAMAHA B-1, Lo-D HMA-9500, SAE MARK XXX1B
CDTransport:Classe CDT-1
FM:KENWOOD KT-880F
DAC:NT-505, Gustard A22, Apogee MiniDAC 192, XI Audio SagraDAC
ここは毎日比較的長く居る場所でありながら、音楽を聴くには肝心のスピーカーの設置場所などに制限があって、今までデスク上のSPは何度か交換しました。結局ウェストレイクのブックシェルフを探して、このLc6.75になりました。TVも有るので、これ以上幅の有るSPが置く事が出来ないのです。Celestion3は、相当昔に私が新品で買った物。このページに列記のスピーカーやアンプ等々は、殆どがオークションなど中古で買った物ですが、DAC以外で新品で買ったのはこれぐらいかも知れません。以来ずっとサブで使っていますが、なかなか良いスピーカーじゃないかと、最近見直しています。音楽はウェストレイクで、TVはセレッションで聴いています。
ここにはヘッドフォンも有ります。以前、子供がまだ小さくて近くで寝ていた頃は、ずっとヘッドフォンでした。最近はあまり使わないのですが、自作SPセレクタの3、4に接続してあります。
ここもアンプは季節によって変えていまして、冬期がC-1 & B-1、間の時期がC-230 & HMA-9500、夏期は当初バッテリー使用の他者自作プリとMARK XXX1Bでした。思い返せば、よくあの重いB-1をこんな所に設置できた物です。C-230は、安いのでつい入札したらそのまま落札ししまった物。思いの外綺麗で、動作確認の為設置したら、そのまま居着いてしまった感じです。寒い時期の重量級アンプになるとそれなりに良くなるし、ライン変更もリビングに比べてそう手間では無いので、季節ごとに変えていましたが、その誰かの自作のバッテリー使用プリとSAEの相性があまり良くないので、最近は夏期もプリはC-230を使っています。
ここで使用のCDトランスポートClasseも、最近トレイの動きが駄目になりまして、リビングでのCDTと同じく手で開閉をいしていますが、うまく作動しない事もあります。両方とも、開けて内部を見たところ、CDの機構自体はフィリップス製のスイングアームの様です(具体的に、CDMの何番かは判らない)。やはり気に入るのは同じ様な機種の様です。しかし既にCDを聴く事はあまりなく、新しくCDを買ったとしても、すぐリッピングしてCUE+FLACにしてから聴いています。
少し前までは、CS衛星デジタル音楽放送と、衛星USENの入力ラインも有りましたが、CS衛星デジタル音楽放送は放送終了、USENもほぼ聴かないので解約しました。ここではTVも有るので、主に予約録画した番組も視聴しますが、その他は余所と同じで、PC接続のDACによるネットラジオや、音楽ファイルの再生が殆どです。
_ [audio] 事務室のオーディオ機器
SP(1):Urei 809
SP(2):KRELL LAT-2
PreAmp:PASS ALEPH-L
MainAmp:SAE 2400L
DAC:OPPO Sonica DAC
仕事場なので、仕事以外の事はここではあまりしない事にしています(居眠りぐらいする事は有るかも、ですが)。以前は常に音楽をかけていたと思いますが、最近は音楽もほとんど流さなくなりました。アンプに電源を入れるのも、週に1度くらいで結構希になっています。
時折調子が悪くなっていたSAE 2400Lは、その都度何度もケースを開けて手を入れていまして、後日やっと根本的原因が判明しきちんと修理出来たアンプで、SAEでは他の大きなアンプも有るのですが、思い入れもあるのでこの2400Lをずっと使っています。反対側の机の上には、使っていないFOCAL MicroUtopia Beが有ります。設置当初は音が出る様にしてたのですが、全く使わないので既にスピーカーケーブルも外してあります。それも含めてSonicaDACを買って以来、ずっと変更なしです。
2025年07月05日
_ [music] アーリドラーテ歌劇団第11回公演 ヴェルディ:「エルナー二」(新国立劇場 中劇場)
東京に出る機会がありまして、コンサートを探してみましたら、上記の様なオペラ公演がありましたので、見てきました。
まず、恥ずかしながら、この「アーリドラーテ歌劇団」を知りませんでした。パンフレットを読みますと、2011年から毎年の様にヴェルディに特化したオペラ公演を続け、今回で11回目の公演となるようです。
主催者は山島達夫さんと言う方で、読んでみますと、この方の(人生をかけた)努力によって、オペラ公演を続けている様です。素晴らしいですね!。指揮者も山島さんです。
オペラ、ヴェルディのエルナーニ、後ろの方の席でしたが、この辺りはちょっと空いていて、とても楽しめました。
私が若かった頃とは違い、最近の日本人歌手のレベルの高さは、まずまず知っていますので、期待はしていましたが、その通りでした。
加えて、演出や舞台も結構良かったです。
新国劇の中劇場は初めて入りましたが、ここはとても良い劇場ですね。舞台も「ステージエレベータ」が有ったりと、なかなか素晴らしい。
舞台装置は簡素ながら、衣装はとても豪華で華やか、演出も正統オペラが前面にでる真っ当な物。決して予算潤沢で無いのでしょが、バレエもちゃんと入ったり、本当に立派な演奏(オペラ)でした。
一つだけ気になったのが、タイトルロールのテノールの歌唱。声は立派な声が出ています(多分)、音程もしっかりしているのでしょう(多分)。でも、歌唱全体が白痴っぽく感じられます。歌に知性が全く感じられません。いや、エルナーニに知性は必要ないかもですが、英雄的なところや、自身の誇りの様なのも、何も感じられなくひたすら幼稚っぽいです。経歴は出演歴も含めてとても立派です、、どうしてでしょうか。オペラの終わりの方になると、少し気にならなくなったので、凄く緊張していたのかも、ですが、それにしても、です。
唯一のメイン女声と言える、エルヴィーラ役の「ともちゃん」はとても素晴らしいです。他の男声陣も、とても良かったです。