12月に入り、収穫され製糖工場に運ばれた砂糖黍は機械で圧搾され、搾汁されます。この砂糖黍を絞る場所を「締場」と呼んでいます。
昭和24、5年までは石のローラーを牛が回して砂糖黍を絞っていましたが、今ではこの行程だけは全て機械で行います。
その昔牛の力だけで砂糖黍を絞っていたときには、砂糖黍を絞るには多くの人手と時間がかかりました。地元だけではそれほどの労働力を一時期に確保出来ないので、徳島でも更に山沿いの地方から出稼ぎを頼み、冬の間だけこちらに住み込みで働いていました。その人たちを「締め子」と呼んでいます。今も砂糖黍を絞るのは締め子さんで12月になるとやってきます。
収穫された多くの砂糖黍は、遅くても2月上旬くらいまでには絞ってしまわなければ傷んでしまいます。それで昔は朝暗いうちから夜遅くまで働いていました。
動力が入り機械で砂糖黍を絞れるようになって、夜まで仕事を続ける必要はなくなりました。しかし朝暗いうちから仕事にかかる習慣はずっと変わらず、近年若干遅くなったとは言え、締め子が起きて仕事にかかるのは4時過ぎです。そのかわり今では仕事が終わるのが早くて、昼には締め場は終了します。
上写真は砂糖黍を機械で絞っている所ですが、同時に砂糖黍の細さも良くわかると思います。
絞られた砂糖黍の汁は隣のタンクに貯まり、パイプにて隣の「釜場」に移されます。また絞りかす(「締めかす」と呼びますが)は繊維質が多い事、またまだまだ糖分が残っている事などから、牛等の飼料や肥にされます。