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xiphioの備忘録


2025年07月24日

_ [misc] 「 川の流れはバイオリンの音」聖地巡礼、クレモナへの旅(1998年)

本日、BS4kの、「4Kプレミアムカフェ」の枠で取り上げられ、再放送されました。

中落合の下宿に居た頃ですから、大学3、4年の時、二十歳ぐらいの頃でした。(既に45年ほど前の事です)その日は休みの日で、昼前まで寝ていました。季節は多分暑くは無い頃、当時はアパートにクーラーは無かったですから。

昼頃に布団から起き出して、お腹も空いたので、すぐ近所の中華料理屋さんへ昼食を食べに行きました。典型的な町中華屋さんです。まぁ定番の様に、天井近くにしつらえた小さな棚に、小さなテレビを備えてあって、つけっぱなしです。

何時もの様に、たぶんチャーハンか餃子など食べながら、そのテレビの見上げて見ていましたら、、何か印象深く引き込まれるドラマの様なのをやっていましてた。普通、こういう所のテレビって、チャンネルはずっと民放にしてますよね。まぁ珍しくてNHK総合、なのにその時は、NHK教育番組のチャンネルだったのが、今考えても不思議です。

食べながら見入ってしまい、食べ終わって店を出たら速攻で下宿に走って帰って、その番組を最後まで見ました。それがこの「川の流れはバイオリンの音」でした。割と最初の方だったと思うけど、途中から見たという事も有り、どういうドラマかも良く解らないまま、とにかくとても強い印象を受けた番組でした。(今調べたら、以下の放送を見たらしいです。「1981年10月11日(日) 午後01:05 〜 午後02:24」、私はずっとNHK教育だと思っていましたが、本当はどうだったか実は不明。初放送は、この年の5月1日だった様です。)

それから時代は下って、私も大学卒業、大学院卒業から、就職してそして帰徳。それからまもなく、どうやって、どこから情報を得たのか全く覚えていませんが、昔見たあの印象的な番組が、「川の流れはバイオリンの音」と言うタイトルだった事、その作品が再放送される事、また、作った人は佐々木昭一郎と言うNHKの人だと言う事、実はあと続編の様な同様な番組が2つ有って、「川3部作」と言われている三作を合わせてをまとめて再放送する事を知りました。

確か休日で、親戚の人が来ていて、番組は見れませんでしたが、3作品ともVHSテープに録画しました。やっと、昔衝撃を受けたドラマを最初から見る事が出来た訳です。そして、その3作品、『川の流れはバイオリンの音 〜イタリア・ポー川〜』(1981年)、『アンダルシアの虹』(1983年)、『春・音の光』(1984年)を何度も見返しました。

なので、初めてイタリアはトスカーナに行く計画を立てた時、クレモナにも絶対に行ってみたい、と思いました。当時はそういう言葉は無かったですが、これはまさしく「聖地巡礼」なのです。

1998年秋、私が39歳の時、フィレンツェからトスカナとクレモナに行くイタリア旅行を計画し、行ってきました。

元々は、イタリア人で、キャンティでワインの醸造をやってる奴と(すでに事の始まりは全く覚えていませんが)知り合いになって、「一度トスカナのワイン造りを見てみたい」と言うと、案内してやるから来い、と言う事になったのが始まりだった様な気がします。それから、その前のある会でのヨーロッパ旅行で、その会のメンバーの知人で、その折イタリアでのガイドをしてくれた、やはりトスカナに住んでいる日本人のNさんとのつても有りましたので、イタリアでの全体的なガイドはそのNさんにお任せしました。

すでに、途切れ途切れでしか記憶がありません。フィレンツェの事はよく覚えていませんが、キャンティからシエナ、モンタルチーノの畑や醸造所巡りは、そのイタリア人友人にアポとガイドをしてもらい、その後Nさんに、クレモナまでのガイドをお願いしました。当初から、クレモナには余裕を持って2泊する事にしていました。そのガイドをお願いした方が取ってくれたホテルは、クレモナ市街から結構離れた所だったのは、少々残念でした。

朝、ガイドの方の車で、ホテルからクレモナ中心部まで連れて行って貰いまして、確かそこでガイドの方とは別れたと思います。ホテルからは、車でも少し走りましたので、クレモナの街から3、4km位有ったんじゃ無いかと思います。途中でポー川を渡るのですが、そこが鉄橋でして、下を見ると川の河川敷が、全くテレビで見た通りでした。ドラマで出てきたあのジプシーの演奏家たちに演奏してもらったのって、この真ん中だとねぇ、こんなところで撮ったのかい、と思いました。

一人で、朝から1日かけて、クレモナの街中を観光しました。小さな街だったので簡単に回れたのを覚えています。何度も見て、すでの頭と目に焼き付いたドラマで出てきた場面を、思い出しながら回りました。有名な広場と鐘楼、ここでは、まず鐘楼に登りました。それからバイオリンの博物館、ここで、展示、f孔に関するスケッチなどがあったので、熱心に見ていたら、係員さんから、「バイオリン、弾いてみますか」と声をかけられました。この時ほど、楽器が出来ない自分が情けない、と思った事は有りません。少しでも出来るなら、此処でバイオリンを弾いてみたかったなぁ!。

街を回ると、ドラマの最初の方に出てきた帽子屋さんも直ぐ見つかりました。店に入って、自分には似合わないのを覚悟で、同じようにベレー帽を買いまして、A子さんの様にずっと被っていました。

「ヴィア・デル・サーレ塩の道」は直ぐ見つかりまして、道に沿って歩きますと、ドラマと同じようにボー川にでます。でも、とても近いです。途中の様子も、映像で見たとおりです。確か、脇道への木の柵は無くなっていたと思いますが、礎石が残っていた様に思います。ここからA子さんの様にクレモナを眺めた写真があります。番組で出てきた、車が突っ込んで事故したのは、ここらだよなぁ、なんて思いながらの聖地巡礼です。

昼は、どこだったか、メニューか何かに日本語が書いてあったレストランを事前に見つけてあったので、そこで食べましたが、何を食ったのかは憶えていませんが、最後で食べたティラミスが、超絶美味しかったのを良く憶えています(サイズの大きさもびっくりでした)。今まで食べた中で最高のデザートでした。確か、そのレストランの前にタクシー乗り場があったので、帰りはここでタクシーに乗ってホテルに帰れば大丈夫だな、と思っていました。

しかし、塩の道をポー川まで見に行ってたりしたからか(ドラマで見る感じより、ずっと近いのですが)、街を散策しすぎたせいか、夕方暗くなりかかってそのタクシー乗り場に行ってみると、一台も居ないのです。状況、詳しく憶えていませんが、途方に暮れてしまいました。仕方なく歩き始めたのだと思いますが、朝、車で来た、ポー川を渡る鉄橋が目の前に見えていて、その橋を向こうに渡るバスが来たので、よほど乗ってしまおうかと思いましたが、乗れず、、、

夕暮れは思ったより早くて、一気にどんどん暗くなって行きます。「ホテルはあのポー川を渡る鉄橋の向こう、よし、歩いて帰ろう!」と、まぁ、今思っても、そんな事よく考えたものです。渡った後のホテルまでの道順なんて、朝車で通ったのを見ただけですので、ほぼ分からないんですが。でも、何故か、何かすごくハイテンションだったのです。歩いて鉄橋にかかった頃は、ほぼ真っ暗になっていました。車の通りも多くない、歩いている人なんて、周りに誰も居ない、でも何かとても高揚していて、A子さんが走っていた河川敷を下に見ながら、大声で歌を歌いながら橋を渡ったのをよく憶えています。

橋を渡った後、ホテルに行く方向は、殆ど「カン」です。町中では無く、完全に郊外で家がまばらに建っているだけでした。何度も曲がる道では無かった筈ですが、まっすぐな道ではありませんので、確信も何も無く、ただ感で歩いていました。途中で、少し離れたところに、明かりのついている小さなバールかレストランが有りました。どうにもなんなければここまで帰って、あのお店の人に道を聞こう、と思ったのを憶えています。それからまたしばらく歩いて、角を曲がったところで、左手向こうの方に、昨晩泊まったホテルの灯りを見つけたときは、本当に安堵しました。

翌日は、計画としては朝早く鐘楼の前に行って、A子さんと同じ様に、鐘楼が開くまで前の階段で座って待つ予定でしたが、ちょっと遅れたみたいで行ったらもう開いていました。ちなみに鐘楼のエントランスの感じは、番組の頃とは変わっていました。それでも、朝一番だ、と思い、昨日と同じくドラマと同じように高い塔のてっぺんまで駆け上ったら、若い外国のグループの人たちがもう来ていまして、塔のてっぺんで、何か歌を歌っていました。気の良い人たちで、おまえも何か歌えと言うので、「荒城の月」を歌ったのをよく憶えています。

それから、またヴィア・デル・サーレを通ってポー川に出て、川の渦巻きがよく見える川の土手に寝そべってぼーっと川面を見ていました。2、3時間は、ずっと川面を見ていたでしょうか。穏やかな日でした。周りに人は殆ど居ません、静かなものです。土手の向こう側に、何だか観光保養施設みたいなのがあったのを憶えていますが、

ポー川で川面の流れを眺めながら、ぼーっと時間を過ごして、色々あったイタリア旅行ももう終わりです。午後の急行でミラノまで行って、時間があればミラノ観光でもと思っていましたが、何を呆けていたのか、急行の発着するホームが変更になるアナウンスをちゃんと聞きながら、何故だか違う列車だと思い込んでいて、目の前で乗り過ごしてしまいました。次のミラノ行きまで3時間ほどあったと思うので、もう一度街を回って、夕方にクレモナを後にしました。

ミラノの駅に着いたら、もうすっかり暗くなっていました。でも、ここの駅でもタクシーがつかまりません。一緒に駅に降りた他の地元の人は、携帯でタクシーを呼んでいる模様。やっと1台いたと思って声をかけたら、そこでご飯食べるから待ってろ、と言う、まるでイタリア。それから30分位でしょうか、いくら待っても他のタクシーがつかまらず、結局そのタクシーに乗せてもらって空港近くのホテルにたどり着きまして、最後の方は少し上手く行かなかったけど、人生の想い出に残る旅行が終わりました。

齢は40になる少し前、結婚もして子供も出来た頃、40歳と言うもはや若者とは言えない年代を目の前にして、クレモナからミラノへの車中で、二十歳の頃からの道標であり憧れでもあったこのクレモナへの聖地巡礼を経て、青春の時期との別離を感じ、その事を手帳に書いたのを憶えています。でもその手帳も、もうどこにあるのか分かりません。

今回は、番組終わりで、是枝監督の話と、主演の中尾さんの話を聞けた事は、新たにとても興味深い事でした。とりわけ中尾さんは、彼女の人間性が透けて見えるA子さんあっての、この川3部作でもありましたし、、。そしてこの度、中尾さん主演の佐々木昭一郎作品が、この川3部作以前に、2作も有る事を初めて知りました。録画、まだ見ていませんが、とても楽しみです。

見る度に思いますが、このドラマ、何にしろストーリーと言えるものは無く(何かありそうで始まってはいるけれど、結局うやむや)、普通に考えると変な所も多々あります。大体、元のアントニオさんなんてどう見てもバイオリン作ってる様に見えませんし、なんでどこから出てきたのか分からない方々も多数、途中に何でこんなストーリーが出てくるのか不明な所もまた多数、えらく立派なオペラ劇場で掃除機の電源入れず床を擦ってるのもとても違和感、、なのですが、即興風に短く綴られてゆく異国の映像と話には、何度見ても強烈に惹きつけられてしまいます。

普通には不完全とも思えるこの番組、私にとっては、若い頃の青春のモニュメントであり、それ以降の人生の憧憬であり、そして墓標でもあるのかと思います。