2023年05月04日
_ [misc] 「米田の補題」、米田先生の想い出
GW中、私はあまり出かける用事も無く暇なので、まだ読めていなかった先月号の日経サイエンスを読んでいたら、圏論の記事の中で、米田先生(米田信夫先生)の名前が出てきて、ちょっと吃驚です。
私は、コンピュータ関連の研究者だった先生しか知らなかったのですが、調べてみると、数学の圏論において「米田の補題」として名前を残している由。その方面では、結構有名な事らしく、知らなかった私が恥ずかしい感じなのですが、大体「圏論」自体知らなかったので、
でも、やっぱり先生凄いよなぁ、、と、久しぶりにお名前を拝見し、懐かしく思い返しました。
大学の時、先生の授業がありました。「数理科学I、II」っていう名前だったでしょうか、、最初は結構人が居るのですが、2、3週ですぐ人がいなくなりまして、一番前で受講して質問したりする、私と数人のみとなり、結局少人数セミナーの様な形になってしまうのです。
先生も、一応何の話をするかは決めて授業には来てるはずでしょうが、私たちとの最初の話しからの流れで、「こんな話もありまして、」という感じで、そのままその話題で一コマ終わってしまう事も多々。いやぁ、楽しい授業でした。
今でも良く憶えて居るのが、「この間、アメリカのパロ・アルトと言う研究所にゆきまして」、と言うお話があり、「、、こんな感じの、ポインティングデバイス(その時はそういう名は使わなかったと思うけど)がありまして、これを、尻尾があって似てるというので、『マウス』って言うんですよ、、」と、報告してくれました。
私なんかは、「へぇー、最新技術、面白いなぁ」とただ思っただけでしたが、それから数年後、某所でPARCと言うマシンで操作させてもらい(美しいグラフィックだった、遅かったけど)、10年後には、Macでそれを使ってた訳です。
またある時は、「こんな面白いパズルが有りまして、」と言いながら、今ではルービックキューブと呼ばれている物を持っていらして、どんな構造になっているのか、どうやって解こうか、とその授業はそれで終わった気がします。ちなみにそのルービックキューブは当時はまだ日本では売ってなかったのですが、直後、うちの理論研でも教授の先生を含めて有名になって、海外で「マジックキューブ」と言う名で売っていたのを、皆で外国より取り寄せて、解法を含め、研究室で全員で一時期はまった事があります。その後、日本で有名になってから、院生の先輩と助教授が数セミかなんかに、解法の手順の記事を書いた事がありました。
先生に提出したレポートも、幾つかは記憶に残っています。一つは、先生から事前に幾つか与えられた課題の一つで、当時二十歳ぐらい、人生で一番頭が冴えていた時期で、図書館で2日ほど考えて、解法と証明に至り、大学のコンピュータとプロッタを使いレポートを仕上げました。後で、「方法は違うけど、東大の生徒でもう一人解いた人が居た」と言われ時は、素直に嬉しかったです。
もう一つは、新しいプログラミング言語の設計をしてみました。Cに似た言語ですが、特徴的なのは、インデントが主体の読みやすい流れを持った言語を設計してみました。言っては何ですが、見た目に限れば、最近はやりのpythonに似てます(もちろん、その見た目以外は旧態依然したものですが)。単なる設計だけで、処理系を作れなかったのは、完全に能力不足です。
後は、時期は前後しますが、以前の日記にも書きましたが、やはり目の前でいきなり16進数の機械語でプログラムを書かれたことですかねぇ、、あれはやはり衝撃的だったです。
今回、「米田の補題」で検索しましたが、その折、先生は66歳で無くなった事を改めて知りました。割とすぐ亡くなられた事は知っていましたが、66とは、、。私はもうあと2年で66になります。