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xiphioの備忘録


2014年10月11日

_ [music] ワーグナー: パルシファル(新国立劇場)

木曜日から日曜日までの東京行きで、その予定が決まってから期間内のめぼしいコンサートを探しまして、一番に目に付くのが、このクプファー新演出の新国劇の「パルシファル」です。すぐチケットを取ろうとしましたが、さすがに人気らしく、二階席で1つだけ見つけてすぐ取りました。二階席でコンサートを見るのは久しぶり、新国劇では初めてかも、、

その注目の演出ですが、正直な意見としては、「あたしにゃぁ、すっげーくだらない演出」と言う所です。どんな舞台かは、既に探せば画像込みの情報が有るでしょうし、その内音楽雑誌で評論が載るでしょうかが、クプファーが狙ったのは「抽象化」なんでしょうかねぇ、分かりません。もっとも、有名だから名前は知っているものの、前衛と言われてきたクプファーの演出を、私は見た事が有りませんので、これがクプファーだと言う事なんでしょうか?

その舞台は最初から最後まで、全幕同じセット、あまりにお金が無くって仕方なくこうなったのなら理解もしますが、新国劇の舞台機能を使った時々大きく動く舞台で、この舞台セット自体、お金はずいぶんとかかってそうですし、有名演出家の起用なので、それはなさそう。

私は「パルシファル」の映像&演奏は、LDで一度見ただけで何度も見てませんし、実際の舞台なんて初めてで、こんなエラソーな事思ってはいけないのかも知れませんが、全部見終わって、後でよくよく思い返してみても、「つまんねー、くっだらない演出」としか感想としては出てきません。それよりも「ホントにこれ演出といえる物なのか?」と言いたいぐらいです。

先にも書きましたが、舞台は全編同じで変わらず。儀式を行う城内の場面では、前面と後ろに半透明の幕が下りて、建物内の雰囲気を出していまして、それは良い効果だったと思います。でもそれ以外は、本当に同じ、小道具も背景道具も殆ど出てきません。聖杯と槍はどうしても出さざるを得ないので、それだけは仕方なく出した感じで、槍は存在感と威圧感がない様に透明プラスチックになっています。思うに、演出家の意図する所は(すごく好意的に考えれば)、排除できる物は排除してシンプルにし、舞台自体を抽象化したかったのでは無いかと、あとで思い返して想像します。

当然ながら著名な演出家の事です、時折出てくる3人の僧侶にも何かどっか意味があるんでしょうし(そこの仏教との関連の指摘については、先に読んだ雑誌の記事で、少し読みましたが、それでも尚、意味不明)、ギザギザライトアップ通路の舞台にも、その照明模様にも、舞台をゆっくり動き回るオベリスクの様な先のとがった支柱も、その動きにも、深遠な意味合いが有るのでしょう、、有るのでしょうが、フツーに見ていても、後で良っく考えても、やはり「意味不明」としか言いようが有りません。先に少し情報が有った僧侶についても同じです。兎に角、演出の殆どが、何のためにそうしているのか、普通の聴衆には「納得」できないまま、音楽だけ進んでゆきます。

舞台だけではなく、人物についても同じです。二幕のクンドリなど一部を除いて、誰も、衣装は簡易な質素なものでづーっと通していまして、衣装から与えられる物語が殆ど無いです。だから思うのです、「『演出』しているのか?」と。主役のパルシファル、登場時はあれでもまだ良いでしょうが、智を得て何を行うべきか知った目覚めたパルシファルも、放浪から帰還したパルシファルも、王に代わり儀式を執り行うパルシファルも、全く同じ情けない姿格好なのは、どーしてなのでしょう。二階席からですと、パルシファル役の歌手の禿げかけた頭がよく見えて、くたびれた格好と相まって、更に違和感が増します。パルシファルはこういう姿の人物で有ると言うのが、演出家の主張なのか?。出演者の動きにしても、印象として、半分ぐらいがゴロゴロ寝っ転がって、死にかけの体でのろのろ這いまわっています。苦悩を表すのかも知れませんが、何かを主張したり表現する態度も取りづらい、這いずりまわりの体は、私としては、「物語の登場人物の動きとして、とても奇妙」、としか思いようが有りませんでした。

オペラは物語です。その物語で状況を示すト書きの部分を再現しないのは、まだ解釈として良いのかも知れませんが、歌手が実際歌う歌詞の部分を全く無視して表現しないのは、演出家としてやるべき事をやっていないと言われても仕方ないのではないでしょうか。なにせ、登場人物が歌っているのに、実際の舞台の方では、その歌詞とは全く違うのですから。聴いていて見ていて、やっぱり変です。

視覚からは、殆ど意味ある物を受け取れない絶望的な状況で、最後まで退屈せずに座って居られたのは、やはり音楽の力でしょう。歌手の誰にも、全く不満を覚えませんでした。とても良い歌い手のスタッフだったと思います。オケも、以前此処で見たオペラの時の様に、うまいと唸る程ではなかったものの、長い演奏時間にもダレずに、最後まで良い出来だったと思います。今思えば、終始目をつぶってCDを聴く様にすればもっと楽しめたかも知れません。もっとも、舞台を見ながら、「何だよぉこれは、何なんだぁ、、」とずっと思い続けていたからこそ、最後まで寝ることなく覚醒状態で鑑賞できたとも言えます、演出家の狙いはこれだったのでしょうか。

追記:先日届いた雑誌に、早速このレビユーが出ていました。この演出をかくの如く不満に思うのは、もしかしたら私だけかも知れないと思っていましたが、やはりそうみたいです。更に、最後の項では編集長が、とても感動した旨(演出も)書かれていました。ちょっとは予想していましたが、やっぱりプロの人の意見はそうなんでしょうねぇ。上述した通り、私なんか経験も知識もないですし。でもまぁ、単に正直、私には理解できなかったと言う事です。